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Home >  在宅医療の教科書 >  決めていないのではない。聞かれていないだけ。

決めていないのではない。聞かれていないだけ。


「最期はどこで過ごしたいですか?」
こう聞かれて、すぐに答えられる人はどれくらいいるでしょうか。

自宅がいい。
病院の方が安心。
家族に迷惑をかけたくない。
できるだけ自然に過ごしたい。

…なんとなく思っていることはあっても、それを家族や医療・介護の専門職と具体的に話した経験がある方は、まだそれほど多くありません。

在宅医療の現場で感じるのは、「本人や家族が何も考えていない」のではなく、そもそも「聞かれる機会がなかった」というケースが少なくないということです。

今回は、人生の最終段階について話し合うこと、そして在宅での看取りを考えるうえで大切なことについてお話しします。

「最期のこと」は、急に決められない

体調が急に悪化してから、「延命治療はどうしますか?」「救急搬送しますか?」「このまま自宅で過ごしますか?」と聞かれても、ご本人やご家族がすぐに答えを出すのは簡単ではありません。

それまで普通に食事をしていた、
少し前までは歩いていた。
前回の肺炎も治って帰ってきた。

そんな日常の延長線上で突然「最期」の話をされると、ご家族が驚くのは当然です。

だからこそ、私たちは「本当に具合が悪くなってから」ではなく、もう少し早い段階から少しずつ話しておくことを大切にしています。

例えば…

  • 最近食事量が減ってきた。
  • 肺炎や心不全を短期間に繰り返した。
  • 介護が必要になってきた。
  • 以前できていたことが難しくなってきた。

こうした変化は、これからの過ごし方について考える一つのきっかけになります。

一度の話し合いですべてを決める必要はありません。

「もしまた肺炎になったら、入院したいですか?」
「できれば家で過ごしたいと思いますか?」
「自分で決められなくなった時は、誰に相談してほしいですか?」

そんな会話を少しずつ重ねていくことが大切です。

ACPは「答えを決めること」ではない

人生の最終段階について、本人や家族、医療・介護の関係者が繰り返し話し合うことをACP(アドバンス・ケア・プランニング)と呼びます。

ACPというと、「延命治療をするか、しないか」「どこで亡くなるか」を決めるものと思われがちです。しかし、本来はもっと日常に近いものです。

「できるだけ家にいたい」
「食べることは最後まで楽しみたい」
「家族にはあまり迷惑をかけたくない」
「苦しい治療まではしたくない」

そんな。その人が普段から大切にしている価値観を知っておく。その積み重ねが、いざという時の判断につながります。

人の気持ちは変わります。
元気な時には「絶対に家がいい」と思っていた人が、体調が悪くなると「やっぱり病気の方が安心」と思うこともあります。
逆に、何度も入退院を経験したことで「次は家で過ごしたい」と考えるようになることもあります。

だからACPには、一度決めたことを守り続けなければならないという考え方はありません。

その時々で何度でも話し直していいのです。

看取りを難しくするのは「医療」だけではない

在宅で最期まで過ごすことが難しくなる理由は、病気の重さだけではありません。

実際には、
「何か起こった時にどうしたらいいかわからない」
「夜に苦しそうになったら怖い」
「家族だけで支えられる自信がない」
「離れて暮らしていて、普段の様子がわからない」
といった不安ば大きな壁になります。

特に今は、家族と離れて暮らす高齢者も増えています。
久しぶりに会えば元気そうに見える。
けれど実際には、以前より食事量が減っていたり、歩けなくなっていたり、日常生活にさまざまな変化が起きていることがあります。

家族の中にある「元気だった頃の親の姿」と、現在の姿にギャップが生じることも珍しくありません。

だからこそ、医師だけでなく、看護師、ケアマネジャー、ヘルパー、施設スタッフなど、日常的に関わる人たちが感じた「いつもと少し違う」を共有することが重要になります。

「治った」=「元に戻った」ではない

特に高齢者では、肺炎や心不全を繰り返すケースがあります。

治療をすれば肺炎自体は治る。
心不全も改善して退院できる。

しかし、病気が治ったからといって、すべてが元通りになるとは限りません。

入院をきっかけに、筋力が落ちる。食べる力が弱くなる。認知機能が低下する。といった変化が起こることがあります。

一度目は元気に戻れた。
二度目も退院できた。
…けれど少しずつ、体全体の力は落ちている。

こうした変化は、本人や家族にとって非常にわかりにくいものです。

だからこそ、私たちは「次も同じように治る」とだけ考えるのではなく、病気を繰り返したタイミングで少し先のことを一緒に考えるようにしています。

最期の数日を「知らない」ことが不安につながる

今の日本では、人が亡くなるまでの過程を実際に見たことがない方も多くいます。

以前は自宅で家族を看取ることも珍しくありませんでしたが、長い間、人生の最終段階を病院で過ごすことが一般的になりました。そのため、

  • 呼吸が不規則になる
  • 痰が絡んだような音がする
  • 眠っている時間が増える
  • 声をかけても反応が少なくなる
といった自然な変化を知らないまま、初めてその場面に直面するご家族もいます。

知らなければ、怖くなるのは当然です。

「このままで大丈夫なのか」
「苦しんでいるのではないか」
「救急車を呼んだ方がいいのではないか」
そう感じるのも無理はありません。

だから在宅医療では、これから起こりうる変化を事前に説明し、「困ったらここに電話してください」と伝えておくことがとても重要です。

「24時間対応」は、電話に出ることだけではない

医療法人社団貞栄会では、24時間365日の対応を大切にしています。その意味は、単に夜間も電話がつながるということではありません。

必要があれば、実際に患者さんのもとへ伺う。この体験が、ご本人やご家族の安心につながると考えています。

「電話しても来てくれないなら、救急車を呼んだ方がいい」と思われてしまえば、いざという時に在宅医療へ相談していただくことは難しくなります。
一方で、「前にも夜に来てくれた」「何かあったら本当に診てもらえる」という経験があれば、不安な時にまず私たちへ連絡していただけるようになります。

看取りの直前には、月2回だった訪問を週1回、毎日、場合によっては1日複数回へと増やすこともあります。

病状だけでなく、ご家族の不安も含めて支えていく。それも在宅医療の大切な役割です。

「お任せします」の中にある本当の気持ち

人生の最終段階の話をしていると、ご家族から「先生にお任せします」と言われることがあります。
でも、その言葉が必ずしも「何でもいい」という意味とは限りません。

「自分が決めるのが怖い」
「自分の判断で寿命を縮めてしまう気がする」
「何が正解なのかわからない」

そんな思いから、「お任せします」と言うしかないこともあります。

だから私たちは、
「ご本人は元気な頃、どんなことを大切にしていましたか?」
「もしご本人だったら、どう考えると思いますか?」
と尋ねることがあります。

ご家族自身がどうしたいかを答えるのが難しくても、「本人ならどう考えるか」であれば思い出せることがあります。

最期の医療には、誰にでも当てはまる一つの正解はありません。
大切なのは、その人らしい答えを一緒に探していくことです。

「少し話してみませんか」から始める

人生の最終段階について話すことは、決して「死ぬ準備」を始めることではありません。

むしろ、これからどう暮らしたいのか。何を大切にしたいのか。どんな医療なら受けたいのか。を考えることです。

そして、その答えは今すぐ決まらなくても構いません。

家族が集まった時。
介護サービスを利用し始めた時。
退院した時。
体調に少し変化があった時。

そんな日常の中のタイミングで、「もしもの時のこと、少し話してみる?」と一言切り出してみる。
その小さな会話が、いざという時にご本人やご家族を支える大きな手がかりになるかもしれません。

「決めていない」のではなく、「まだ聞かれていないだけ」。

私たちは、答えを急いで決めるのではなく、その人の思いや言葉を少しずつ拾いながら、最後までその人らしく過ごせる方法を一緒に考えていきたいと思っています。